テーマ インドの植民地化(インド・東南アジアの植民地化についてのまとめと用語などです。)

 

インドの植民地化 
 イギリス東インド会社(1600)は、ポルトガル・オランダを退ける。その後フランス西インド会社とインドを争って戦う事になる。プラッシーの戦い(1757)でロバートクライブらがベンガル地方(現在のバングラデシュ)を制圧しフランスを退けた。インドの綿製品がイギリスに輸入されていたが、産業革命によりイギリス製の綿製品がインドに入ってくることなった。インドは綿の原料の輸出地になった。インドからは茶、絹、砂糖、塩、ジュートなどがイギリスに運ばれた。

 食事などの宗教上の習慣に無関心なイギリスに反発し、セポイ(インド人雇用兵)が反乱を起こした。セポイは、バハードゥル・シャー2世を立ててイギリスと戦ったが鎮圧され、ムガール帝国が消滅。東インド会社は解散しインド帝国が設立され(ヴィクトリア女王が元首の統治)、植民地化が進む事になる。インド帝国は直轄州と、藩王国からなっていた。

 イギリスの植民地化が進んだ。イギリスはインドに鉄道や水路を建設した。一部の人にはイギリス流の教育を施した。それらの教育を受けた人たちなどが1885年にインド国民会議という政党(初めは穏健な団体でした。)を設立し、インド独立に向けた動きが開始する。

 1905年にイギリスはベンガル分割令を出してヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断を狙ったが、うまくいかず、国民会議が4綱領(英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育)を発表した。

 

 

用語集・関連サイト集 各用語はウィキペディアにリンクしています。
用語集   
現在のインド・バングラデッシュ・パキスタンの地域の用語   
マラータ同盟Maratha Empire
プラッシーの戦いBattle of Plassey
インド大反乱シパーヒーの乱・セポイの反乱Indian Rebellion of 1857
イギリス領インド帝国British Raj
インドの総督ベンガル総督、インド総督 Governor-General of India
藩王国Princely state
マイソール王国Kingdom of Mysore
ベンガル分割令Partition of Bengal (1905)
インド国民会議Indian National Congress
    
ビルマ・ミャンマーの地域   
英緬戦争Anglo-Burmese wars
    
アフガニスタンの地域   
グレート・ゲームThe Great Game
    
インドネシアの地域   
オランダ領東インド今のインドネシアあたりです。Dutch East Indies
    
参考サイト集   
The British Presence in India in the 18th Century  BBC 
興亡の世界史(第15巻)東インド会社とアジアの海   
    
課題: 



関連情報
ダージリン アッサム インド カレー   

   


以下も chireki.com のページです。同じ時代の他の場所についてリンクします。

中国の植民地化

アフリカの植民地化

 

 

1つ上のページに戻る…この窓で 別の窓で