テーマ 大航海時代(大航海時代についてのまとめと用語などです。)
| 大航海時代 |
| あらまし レコンキスタによるポルトガル・スペインの成立、オスマン帝国にブロックされて胡椒などの香辛料を自由に手に入れられない事、羅針盤・航海技術の進歩、地球が球体である事の再認識などにより、欧州大西洋岸諸国によるインドを海から目指す試みが始まった。 ディアスが喜望峰に到達(1488)…ポルトガルの援助 コロンブスが西インド諸島に到達(1492)…スペインの援助 コロンブスはジェノバ人 ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達(1498)…ポルトガルの援助。その後インドのゴアを占領。ポルトガルはゴア・マラッカ(マレー半島)・マカオを貿易の拠点とする。 マゼランの航海(1519−1521)…スペインの援助。マゼランの艦隊は世界一周をした。マゼランは途中で殺された。マゼランはポルトガル人だが、スペインの支持を受ける。 スペインとポルトガルはアメリカ大陸をめぐって、トルデシリャス条約を結んだ(1494)。 その後、オランダ、英国、フランスも探検を開始した(ヘンリ7世が命じたカボットなど)。探検のコスト増加は、国家の財政力に頼る事になり、国家の発言力・影響力が増す事となっていく。リスボンやアントワープなどの大西洋岸の都市が栄え、イタリア・南ドイツの諸都市は停滞した。 スペインのコルテスはアステカを滅ぼした(1521)。アステカの為政者モンテズマは訪れたスペイン人を神と勘違いしたことや、コルテスが他の現地の民族を巧みに利用した事、スペインから持ち込まれた病気も大きい。 スペインのフランシスコ・ピサロはインカ帝国を滅ぼした(1533)。ヨーロッパ人が持ち込んだ病気によっても多数の死者が出た。アフリカからは労働力のための奴隷が新大陸に運ばれた。ポトシ銀山(現在のボリビアにある)では銀が産出されスペインに運ばれた。その銀でスペインの国力は高まった。 スペインは、メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラの間でも貿易をした。 交易の増大が進み、コストとリスクを低減させるため、株式会社的社団(joint-stock company)があらわれた。オランダ、イギリス、フランスでは東インド会社などが設立され、欧州とその他の地域との間で貿易がなされた。輸入量よりも輸出量を増やしたいと言う問題の解決策として、植民地政策が採られる事になった。 欧州大西洋岸諸国が香辛料等の産物を海路で直接手に入れるようになり、イタリア、ドイツ、中東の地域は凋落した。 <その前後のスペインの動向> フェルナンド、イザベラの結婚とイザベラの即位によりスペイン成立(1479)。レコンキスタ達成(1492)。 その孫カール5世(カルロス1世)(ハプスブルグ家出身)がオーストリアとスペインを相続した。スペイン王在位(1516〜56)・神聖ローマ帝国皇帝在位(1519〜56) イタリア戦争(ハプスブルグ家とヴァロワ家の戦い)に参戦し、フランスのフランソワ1世と戦う(イタリア戦争)。オスマン帝国にウイーンが包囲され、オスマン帝国のスレイマン1世と戦う。カール5世はカトリックであり、ルターに対抗するが、イタリア戦争激化などの理由によりアウグスブルクの和議を結んでルター派を容認した。その後イタリア戦争終了後にルター派を再び禁止した。 その2人の子、フェリペ2世はスペインと新大陸を、ファルディナンド1世はオーストリアを相続した。 フェリペ2世のころスペインは最盛期。カトリック(他方のオーストリアは、アウグスブルクの和議などから分かるようにプロテスタントになっていった)。1571年にオスマン帝国と戦う(レパントの海戦)。ポルトガル国王も兼ねる(1580〜)。新大陸から大量の銀がもたらさせるが、戦争に浪費して財政は厳しかった。 オランダ独立戦争(1568〜)…フェリペ2世のゴイセン(プロテスタント)弾圧に反発し、オランダがスペインから独立を試みる。イギリスがオランダ独立を支援しスペインと戦う。スペインはアルマダ海戦で女王エリザベス1世のイギリスに敗れる(1588)。スペインは凋落していった。 1602年オランダ東インド会社設立。1648にオランダ独立戦争終結。16世紀はスペインの時代、17世紀はオランダの時代と言われる。 |
| 課題: アメリカ大陸原産の農産物で、ヨーロッパ世界にもたらされてその後世界中に広まった物を調べてみましょう。 |
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| 香辛料 | ||||
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